2009年5月20日水曜日

Broの肖像(玉川上水 どんどん橋)


 玉川上水沿いの緑道は私達三鷹市民にとって四季を通して武蔵野の自然が楽しめる貴重で親しみ深い散歩道です。また、かつて三鷹市に住んでいた作家、太宰治が愛人と共にこの上水で入水自殺したことは今でも三鷹市で語り継がれている悲しい事件の1つです。


 「どんどん橋」は江戸時代(寛政3年・1791年には既に記録がある)に玉川上水に架けられたレンガ造りの古い橋です。その後何度か架け替えが行われ、この橋は大正時代中頃に造られたようです。
 昭和8年(1933年)、「どんどん橋」の横に現在主に使われている新しい橋(牟礼橋)が架けられてからも、ひっそりと主に散歩をする人達を向こう岸へ渡し続ける現役の橋です。


 「どんどん橋」の名前の由来は橋の下を流れる玉川上水の水が「どんどん」と音をたてて流れていた。又、昔は木の橋だったので橋を渡ると「どんどん」という音がしたという2つの節があるようです。正式な橋の名前は「牟礼橋」(むれはし)で幹線道路(人見街道)が通る新しい「牟礼橋」ができてからは「旧牟礼橋」とも呼ばれています。
 穏やかに流れる現在の様子から太宰治が玉川上水でどうやって自殺が出来たのだろうと想像ができませんが、橋の名前の由来通りその昔はかなりの水量があったようです。

 玉川上水は以前紹介をした神田川(神田上水)や溜池上水では足りない江戸の飲料水を補うために承応2年(1653年)、玉川庄右衛門と清右衛門の玉川兄弟によって開削されたと言われています。
 上水の取水口は玉川兄弟の故郷でもある多摩川の羽村にあって、新宿区の四谷大木戸(現在の新宿御苑)まで43キロメートルに及ぶものです。また、飲み水だけでなく、武蔵野の農地へも水を供給し、農業生産にも多大な貢献しました。現在も上流部は現役の導水路として使われいます。


 昭和40年(1965年)に淀橋上水場が廃止されると水路としての役割が終わりその姿は荒れてしまいましたが、昭和61年(1986年)に清流復活運動が実って小平監視所より下流に下水処理水を使用して流水が復活しました。また、福生市の平和橋からは上水沿いには遊歩道があって武蔵野の自然を楽しめる散歩道になっています。


 「牟礼橋」は三鷹市と杉並区の丁度境界にあって橋の上を人見街道が通っています。この道を渡ると杉並区の久我山(東京都23区内)に入ります。


 三鷹市側には宝暦7年(1757年)に建立された玉川上水流域にある石碑の中では最も古い石橋造立供養塔があります。一方、杉並区側には大きなケヤキの木の下に元禄13年(1700年)造立の庚申塔(こうしんとう)が祀ってあります。
 ここから更に東、1.3キロ程先の「浅間橋」(せんげんはし)まで上水沿いの道が続いています。また、「浅間橋」より先は暗渠(あんきょ_地下に水路を通している)となり、残念ながら殆ど水路が残っていません。人によって「浅間橋」までを現在は玉川上水と呼んでいるようです。つまりこの区間は東京都23区内に残る唯一の玉川上水と言えます。


 東京都は、この「牟礼橋」から「浅間橋」の区間に莫大な費用を投じて効果が期待できない(環状八号線の出口付近で渋滞を招く可能性があって逆効果との見解もある)新しい幹線道路(幹線道路放射5号線)を通す計画を進めています。歴史的にも大変貴重な玉川上水の景観が損なわれることは勿論、自動車の往来がない静かで安心して自然を楽しみながら通ることが出来る玉川上水沿いの散歩道を東京都は東京都民から奪おうとしているのです。

 デンマークは世界でも有数の自転車大国として知られています。コペンハーゲン市民の36%が自転車で通勤、通学をしており、2015年には50%にまで引き上げることが目標だそうです。何処まで行っても1000円で高速道路が使えるというのとは随分発想が違うようです。また、デンマークは税金が高い福祉国家でも有名ですが、税金の使い方を考えるとむしろ日本は割高に感じます。


 「どんどん橋」、前回の猫ではないですが何となく気配を感たので橋の側面を覗き込むと2m近い長さの蛇がいました。「どんどん橋」の主が今でもこの橋を守り続けているのだと思いました。

2009年5月10日日曜日

庭 ファンタスム


 あっという間に連休が終わりました。特に遠出をしたわけでもなく。実家でのんびりと過ごしていました。

 実家にはそれこそ猫の額ほどの庭があってこの時期は新緑が綺麗です。そして写真を撮るようになって以来、この小さい庭は私の被写体であり続けています。
 家族の写真、今は亡くなってしまった祖父母や大叔母の写真もこの庭で撮りました。通称シノゴと呼ばれる割合大きなカメラを大学から借りてきて庭を背景に家族の写真を撮りました。とても懐かしい思い出です。


 エルヴェ・ギベールの「幻のイマージュ」という写真をテーマにして書かれた本があります。(個人的に写真について書かれた本の中で一番共感の出来る作品です)なぜ人は写真を撮るのか?とても繊細な文章で写真について書いた彼、独自の写真論であり断章で綴られた文芸作品です。その中に幾つか家族の写真について書かれたものがあって、中でも母親の写真を撮影した時の話しを書いた「幻のイマージュ」(本の題名でもある)は写真の本質が見事に文章で表現されています。


 なぜ家族の写真を古風で融通の利かない大きなカメラを大学から借りてきて撮ったのか?おそらく過ぎ去ってしまう家族との時間をなるべく鮮明に残して(定着させて)おきたいというはかない気持ちだったのだと思います。撮影した写真は11×14インチ位の大きさに引き延ばしたものが数枚。その他はベタ焼きしたのみ、そのままお蔵入りとなりました。悲しいことに多くの写真は日の目を見ることがありません。


 ギベールの「幻のイマージュ」、カメラのフィルムが巻き上げられていなかったというアクシデントによって、完璧な状況下で撮られたはずの母親の姿は写真に写されることはなかったのですが、写真というのは何時でもそのようなことが付き纏っているように感じます。そして本当に写したいものは写すことが出来ないのが写真なのかもしれません。


 数年前、大叔母が撮ってくれた古い家族写真(何故かA4版程の板の上に写真が数枚貼られて樹脂コーティングされている)が出てきました。おそらく夏休み中に撮られたと思われるその写真には幼い弟や若い母の姿が庭を背景にして撮られています。弟と母の姿と共に庭もどこか若々しいというより隙間だらけの庭とは呼べない空間です。これでも時間を掛けて少しずつ庭らしい姿になってきたのかなと思いながら連休中に実家の庭を眺めました。

2009年5月6日水曜日

Broの肖像(滄浪泉園 そうろうせんえん)


 ブロンプトンに乗って「滄浪泉園」(そうろうせんえん)という庭園へ行きました。「滄浪泉園」 はJR 武蔵小金井駅と国分寺駅の丁度中間辺りに位置する、これも先日、ブログで紹介した「美術の森」と同じように国分寺崖線の地形を上手に使って造られた庭園です(この辺りにはこのような庭が複数あります)

 元は波多野承五郎という明治、大正期に三井銀行の役員、外交官、衆議院議員等を歴任した人の別邸でしたが、昭和に入って三井鉱山の社長、川嶋三郎の手に渡り、昭和52年にはマンション建築計画がありましたが、市民の要望によって東京都の緑地保全地区指定になることで(買収された)自然緑地として残されました。それでも元は33,000㎡あった土地の1/3(11,732.57㎡)になります。

 「滄浪泉園」とは大正8年にこの庭で遊んだ犬養毅元首相によって「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉の庭」という深い意味を持って名付けられました。正門前の石の門票(上の写真)は犬養毅自らの筆によるもので、萬成と呼ばれる大きな赤御影石に刻まれています。


 正門を潜って石畳の道を下りていくと崖から滲み出る水を使った水琴窟(すいきんくつ)があります。水琴窟とは小さな穴の開いた瓶を逆さに伏せて地面に埋めて、水滴が落ちる音が瓶に反響して琴の音のように聞こえる日本庭園の装飾の一つで、今で言えばインスタレーションです。耳に当てて水琴窟の澄んだ音を聞くことが出来るように竹筒が近くに置いてありました。私は野外録音が趣味なので持参したポータブルレコーダー据えて水琴窟の心地よい音を暫く録音しました。これでまた大切な音のライブラリーが増えました。


 石段で崖を下っていくと湧水を貯めた大きな池が見えてきます。池の周りには遊歩道があり池に沿って歩けるようになっています。暫くすると湧水が出ているところ「はけ」があります。地図で確認するとこの池の水源は3ヶ所あるようです。一旦、池に貯められた水はその後、敷地外にある野川へと流れていきます。


 池の近くには対照的なお顔立ちをした「おだんご地蔵」(1713年)と「鼻欠け地蔵」(1666年)二体の地蔵菩薩が祀られています。なお「鼻欠け地蔵」は小金井市内で最も古い庚申(こうしん)さまとして祀られたものだそうです。長い間皆に触れられて目鼻が欠け落ちてしまったようです。


 このような大きな池が住宅街の中にあることは普通では想像できません。崖線(がいせん)という特異な地形ならではのことだと思います。また、小金井は本当に水の豊富な場所です。小金井という地名は「黄金に値する豊富な水が出るところ」ということから“黄金井”が“小金井”になったと言われていますが実感するところです。つまり「はけ」イコール「小金井」なのだと思います。

 「滄浪泉園」は同じ「はけ」の庭でも前回の「美術の森」とは大きく異なる印象です。敷居面積が「滄浪泉園」の方が大きいこともありますが「美術の森」よりも庭の様子は素朴な印象を受けます。また、整然した石畳のアプローチとは異なり奥へ行くにしたがってやや荒れた森に入っていく感じがする、そして大きな池がある。外と中の二面性が「滄浪泉園」の魅力だと感じました。

mincoroおすすめ度:★★★★☆(星5中4つ)

滄浪泉園
所在地:〒184-0014 東京都小金井市貫井南町3丁目2番28号
アクセス:JR 中央線、武蔵小金井駅南口下車、徒歩15分
お問い合わせ先:国分寺市観光協会042ー385-2644
入園料:大人(15歳以上)100円
     子供(6歳以上)、60歳以上・特別割引者 50円
開園時間:午前9時から午後17時(入園は午後4時半まで)
休園日:毎週火曜日(火曜日が祝日に当たる場合は翌水曜日)
     12月28日から1月4日まで

2009年5月5日火曜日

Broの肖像(名曲喫茶ミニヨン)


 連休は遠出をするという人も多いようですが私は地元でのんびり派です。以前から気になっていたJR 荻窪駅近くにある「名曲喫茶ミニヨン」にブロンプトンで出掛けてみました。

 最近はアメリカンなファーストフード系のチェーン店ばかりで落ち着いて珈琲が飲める場所、つまり喫茶店をあまり見掛けなくなりました。荻窪にある「名曲喫茶ミニヨン」は創業48年、半世紀近い歴史があるクラシックレコード(CDではありません)を聞きながら珈琲が飲める喫茶店です。現在の荻窪駅南口に移転して38年ですが競争の激しいこの世界では老舗の喫茶店だと思います。

 お店の外に自転車を停める場所がなかったので、自転車を折り畳んで階段の踊り場に置こうとするとママが出てきて「どうぞ中へ入れてください、ずいぶん小さくなる自転車ですね」と言ってお店の奥にあるギャラリースペースに自転車を置かせてくれました。なお、喫茶店は音楽コンサートを催す音楽サロンとしても使われており、定期、不定期のコンサートも行われています。


 珈琲はブレンドのソフト(ビターも選べます)、小腹も空いたので手作りクッキーも一緒に注文しました。
 南側の窓からは初夏の風と共に街の音が微かに入ってきました。大きなタンノイのスピーカーから流れるショパンのピアノ曲と街の音が微妙に混ざり合い、照明を抑えた店内は大変心地よい空間です。お客さんは皆時間を忘れて読書や書き物をしていました。CDとは明らかに違う柔らかいレコードの音に包まれながら飲んだ珈琲は大変美味しかったです。


 「名曲喫茶ミニヨン」現在のママは2代目で先代の名物ママは7年前に91歳で引退されたそうです。この近所に住んでいる友達の話ではそれでもよくお店がある2階まで1人で上がっていたと聞いています。残念ながら4年前に初代、深澤千代子ママはお亡くなりになりましたが、今もお店の至る所に先代ママの温もりのようなものを感じました。

 閉店してから2年近く経ちますが吉祥寺にも「ボア」という50年続いた老舗喫茶店がありました。画家、東郷青児が愛したお店としても有名で、店内には東郷青児の描いた絵が飾られ、包装紙やマッチも東郷青児がデザインしたものでした。近いので何時かは入ろうと思いながら何時もお店の前を通り過ぎていましたが、そんなことをしているうちに駅前広場の整備予定地となり閉店になってしまいました。何とも悲しく悔しい思いをしていたので荻窪の「名曲喫茶ミニヨン」には絶対に行こうと思っていました。今回ようやく念願が叶ってお店に入ることが出来てよかったです。やはり連休は地元でゆっくりと過ごすのが一番です。

名曲喫茶ミニヨン
所在地:〒167-0051 東京都杉並区荻窪4ー31ー3マルイチビル2階
営業時間:11時から22時(月、火、木、金、土)日曜日は19時まで
定休日:水曜日(※コンサートの時間帯は喫茶店の営業を中断)
お問い合わせ先:03ー3398-1758

2009年5月2日土曜日

TSRの肖像(国分寺崖線 番外編2 山崎商店)


 国分寺楼門から元町通りを走って帰る途中、思わず立ち止まってしまったのが「山崎商店」です。なんだよこれ!最高じゃん!今回の国分寺崖線めぐりの中で一番興奮した瞬間でした。


 「御自由にご覧下さい」と書いてありましたが人の気配はなく、また入ったら最後出て来れない感じもしたので怖くて中に入れませんでした。


 外壁には様々な表札や看板があります。「テレビ 新聞報道うんうん」と書かれたものもあります。後で調べてみると手作り木製表札と看板を作る結構有名なお店でした。
 中には「文部省」なんて言うものまで確認出来ますが本当にそのような所からも受注があるようです。何でも吉田茂に表札を献上したことからテレビ等マスコミの取材を何度も受けて広く知られるようになったようです。全国から受注があり店内に入ると35万枚以上の表札がびっしり壁一面に飾ってあってそれらを見ることが出来るようです。
 店主の山崎さんはその昔、日展にも入選したプロの書道家だったそうで、手を怪我して筆が持てなくなり表札を製作するようになったとか、次回は店内にある35万枚の作品を是非拝見したいと思います。


 よく見ると「夫婦榎」と書いてありますがこの店の前に立つ二本の榎を指すようです。何でも店主が二本の榎を剪定しようとしたら夢枕に神様が立ってこの二本の木を「夫婦榎」と名付けろとお告げがあり、木の下を掘ってみると二本の木の根が繋がっており、また上を見上げると枝まで繋がろうとしていたと言います。その後、店主は二本の榎の間に神仏を安置したそうです。また結婚、恋愛、家庭円満の神木としてそれなりに広く認知されるようになったとか?
 写真を撮ると何時も“たまゆら”が写るそうです。残念ながら私の写真にそのようなものは写っていませんでした。猫の気配には敏感でも精霊の気配は感じられない私でした。

mincoroおすすめ度:★★★★★(星5中5つ)

山崎商店(表札の店)
所在地:〒185-0023 東京都国分寺市東元町3−8ー5
お問い合わせ先:042ー321-6845

2009年5月1日金曜日

TSRの肖像(国分寺崖線 番外編1 ポストと崖の下のノラ)


 「はけの森美術館」から「金蔵院」へ向かう途中の「はけの道」沿いで懐かしい円筒形の赤いポストを見つけました。こういうポストは久しく見掛けないので写真を撮りました。よく見ると最近ペンキを塗り直した様子で、赤いペンキがポストを載せているコンクリートの台座に細かく散っていました。

 ポストの写真を撮り終えて さあ、出発と自転車を漕ぎ出したところで誰かに呼止められたような気がしました。それは「はけの道」を数メートル走った後のことでした。とにかく呼止められた気がした方向へ引き返してみました。


 それは崖の下に棲む1匹のノラ猫でした。赤いポストがある角の道を曲がった突き当たりに石段があって、その前でノラがちょこんと座って私を見ていました。恐る恐る近づいていくとノラもすくっと立ち上がってすぐ傍まで近づいてきました。人にとても慣れている様子で私の膝の上までのってくる勢いでしたが片手にカメラを持っていたので今回は猫語の挨拶程度でお茶を濁しました。


 ノラは先程まで私がポストの写真を撮っていた様子を観察していたようで、この道に立ち寄りながら自分に対する挨拶がなかったことが不満だったようです。近くにいながら気が付かなかったこと、また挨拶が遅れたことを目を“しくしく”させるあの猫特有のお愛想を真似てお詫びをしました。
 ノラにちょっと背中を撫でて欲しいと頼まれましたが、先を急いでいることを伝えるとやや不満そうな顔をしながらも私を許してくれました。次回はかつおぶしパック持参で会いに来る約束をして崖の下のノラと別れたのでした。

次回、番外編2をお楽しみに