Broの肖像(滄浪泉園 そうろうせんえん)


 ブロンプトンに乗って「滄浪泉園」(そうろうせんえん)という庭園へ行きました。「滄浪泉園」 はJR 武蔵小金井駅と国分寺駅の丁度中間辺りに位置する、これも先日、ブログで紹介した「美術の森」と同じように国分寺崖線の地形を上手に使って造られた庭園です(この辺りにはこのような庭が複数あります)

 元は波多野承五郎という明治、大正期に三井銀行の役員、外交官、衆議院議員等を歴任した人の別邸でしたが、昭和に入って三井鉱山の社長、川嶋三郎の手に渡り、昭和52年にはマンション建築計画がありましたが、市民の要望によって東京都の緑地保全地区指定になることで(買収された)自然緑地として残されました。それでも元は33,000㎡あった土地の1/3(11,732.57㎡)になります。

 「滄浪泉園」とは大正8年にこの庭で遊んだ犬養毅元首相によって「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉の庭」という深い意味を持って名付けられました。正門前の石の門票(上の写真)は犬養毅自らの筆によるもので、萬成と呼ばれる大きな赤御影石に刻まれています。


 正門を潜って石畳の道を下りていくと崖から滲み出る水を使った水琴窟(すいきんくつ)があります。水琴窟とは小さな穴の開いた瓶を逆さに伏せて地面に埋めて、水滴が落ちる音が瓶に反響して琴の音のように聞こえる日本庭園の装飾の一つで、今で言えばインスタレーションです。耳に当てて水琴窟の澄んだ音を聞くことが出来るように竹筒が近くに置いてありました。私は野外録音が趣味なので持参したポータブルレコーダー据えて水琴窟の心地よい音を暫く録音しました。これでまた大切な音のライブラリーが増えました。


 石段で崖を下っていくと湧水を貯めた大きな池が見えてきます。池の周りには遊歩道があり池に沿って歩けるようになっています。暫くすると湧水が出ているところ「はけ」があります。地図で確認するとこの池の水源は3ヶ所あるようです。一旦、池に貯められた水はその後、敷地外にある野川へと流れていきます。


 池の近くには対照的なお顔立ちをした「おだんご地蔵」(1713年)と「鼻欠け地蔵」(1666年)二体の地蔵菩薩が祀られています。なお「鼻欠け地蔵」は小金井市内で最も古い庚申(こうしん)さまとして祀られたものだそうです。長い間皆に触れられて目鼻が欠け落ちてしまったようです。


 このような大きな池が住宅街の中にあることは普通では想像できません。崖線(がいせん)という特異な地形ならではのことだと思います。また、小金井は本当に水の豊富な場所です。小金井という地名は「黄金に値する豊富な水が出るところ」ということから“黄金井”が“小金井”になったと言われていますが実感するところです。つまり「はけ」イコール「小金井」なのだと思います。

 「滄浪泉園」は同じ「はけ」の庭でも前回の「美術の森」とは大きく異なる印象です。敷居面積が「滄浪泉園」の方が大きいこともありますが「美術の森」よりも庭の様子は素朴な印象を受けます。また、整然した石畳のアプローチとは異なり奥へ行くにしたがってやや荒れた森に入っていく感じがする、そして大きな池がある。外と中の二面性が「滄浪泉園」の魅力だと感じました。

mincoroおすすめ度:★★★★☆(星5中4つ)

滄浪泉園
所在地:〒184-0014 東京都小金井市貫井南町3丁目2番28号
アクセス:JR 中央線、武蔵小金井駅南口下車、徒歩15分
お問い合わせ先:国分寺市観光協会042ー385-2644
入園料:大人(15歳以上)100円
     子供(6歳以上)、60歳以上・特別割引者 50円
開園時間:午前9時から午後17時(入園は午後4時半まで)
休園日:毎週火曜日(火曜日が祝日に当たる場合は翌水曜日)
     12月28日から1月4日まで

コメント

  1. こちらも庭園としては野趣に溢れてますね。
    私は関西の(善くも悪くも)洗練された風の庭園に
    慣れていますのでこう言うのはちょっと新鮮ですね。

    前回の茶室もそうですが矢張り武蔵野の文化、つまり
    東京的になり去勢された文化とは違っていたのだろうと
    想像します。つまり、この辺りに集った独歩や盧花から
    前出の大岡昇平にはそう言う部分が魅力的だったのなかな
    と想像しまします。

    この前の話の流れから言えば、矢張りは東京はコピペ文化の
    中心地であり続けてると思います。それは昔からそうであったと
    思います。ところがこの辺りは、そう言う江戸、東京文化とは違った
    異彩を放ったので無かろうかと勝手に思っています。
    所謂憧れの東京、花の東京に対しての抵抗勢力、抵抗文化
    (カウンターカルチャー)の様なのだったのでは。

    庭園のそう言う部分を読まないと面白くないですよね。
    地方に行って、京風庭園とか見てもしゃーないですし。
    でも、ホンマにこう言う風な日本文化が読み解けない様に
    成って来たから、京都観光で京都の風物を見て、更に
    騙されてします訳でしょうね。でそれから更に地方で京都風の
    庭園とか、東京風のなになにとかのコピペが展開されるんでしょう。
    今僕は、地方で標準語が話されてる事に大分ビビってます。
    福田恆存程の保守主義者では断じて無いと思いますがw

    武蔵野地方は、その地方性を残してる限り魅力的でしょうね。
    最近こちらのブログで魅かれています。

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  2. Xinyi Folders さん

    こんばんは
    何時もコメントを頂き有り難うございます。

    仰る通り、武蔵野、多摩地区というのは所謂「東京」(江戸)とは趣きが違います。
    また先日ご紹介した「美術の森」も含めて共に個人宅の庭ということと、
    時代が新しいことも京都や江戸にある観光名所的な庭園とは異なるところなのだと思います。
    「滄浪泉園」も犬養氏のエピソードから推測するとごく親しい間柄の人達を招くための別邸(隠れ家的)だったようですからXinyi Folders さんが仰るように野趣に溢れる庭になっているのだと思います。

    この辺りが大岡昇平をはじめ多くの作家に愛されたというのは、
    人がひしめく、どこか冷たい「都市、東京」にうまく打解けられず
    少し距離を置いた所に身をおきたかったということかもしれません。
    それと共に寛容な武蔵野の自然に惹かれたのではないでしょうか。
    「武蔵野夫人」で戦後ビルマから疲弊、帰国した人物として描かれた勉は大岡昇平自身の姿であると思います。
    戦争体験によって作家自身が自然の中に身を委ねて新たな創作をしたいという気持ちだったのかもしれません。

    >今僕は、地方で標準語が話されてる事に大分ビビってます。

    方言が使われなくなるというのは寂しいことですね。
    誤解されると困るのですが方言に憧れのようなものがあります。
    方言ってチャーミングですよね。
    江戸弁というのもありますが生粋の江戸っ子ではありませんので使いません。
    東京弁ってあるのでしょうか?
    関西の方、特にさんまが真似をする東京弁はちょっと違いますね(笑)
    わざとやっていることは分かっていますが、あのような喋り方はしません。
    外人が日本人は皆ちょんまげをしているというのに似てますね、あの表現は。
    また標準語というのも大変曖昧な言葉ですね。
    私自身標準語の概念がよく分かっていません。

    >武蔵野地方は、その地方性を残してる限り魅力的でしょうね。

    地域の特徴を残していきたいという住民の意識が高いように思います。
    また東京23区内とはその辺りが異なるようです。

    >最近こちらのブログで魅かれています。

    そのように仰って頂き有り難うございます。
    ブログは広く一般的過ぎても特徴がなく書いてもまた見ても面白くありませんし
    あまりに個人的過ぎても他者との共有が出来ませんので大変難しいメディアだと痛感しております。
    それでものんびり好きなことやろうと思いますので今後も宜しくお願いします。

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