変わりゆく街(吉祥寺 不自由な街 )


 吉祥寺の街には幼い頃よく祖父と一緒に行きました。今でもこの街を歩くと何となく祖父のことを思い出します。
 何でも揃う街ではありませんでしたが、新宿や渋谷とは異なるのどかで個性的な街でした。今の吉祥寺は次々と新しい店が現れては消える忙しない街です。特に大手家電量販店の進出と商店街に似たような靴屋ばかりが増えはじめてから吉祥寺に集まる人種も大きく変わったように感じます。祖父と一緒に行った頃の吉祥寺の雰囲気ではありません。


 東京下町の街暮らしは「不自由」である。俳優の渥美清さんがNHKが制作したドキュメンタリー「渥美清の“寅さん”勤続25年」で語ったていたこの言葉がとても印象に残っています。下町の暮らしは個人よりも社会(コミュニティー)を優先する。渥美さんの下町とは主に商業地区を指していると思いますが人が集う街の暮らしは便利さとは裏腹に「不自由さ」が伴うようです。しかしここで言う「不自由」とは決して悪い意味ではなく、下町という小さな社会で皆が気持ちよく暮らしていくための決まりや知恵のように思われます。


 吉祥寺は小さな街にもかかわらず、かつては百貨店が3軒もありましたが、この春(3月14日に)伊勢丹が閉店することによって百貨店は東急百貨店が只1つ残ることになります。昔から度々吉祥寺の伊勢丹を利用していたので、閉店を知った時は残念に思うと同時にまた1つ吉祥寺の顔が無くなってしまうという寂しい気持ちになりました。


 祖父が通っていた頃の吉祥寺はお客と店員の関係が親密で、祖父も買い物が目的ではなく会話を楽しみにしているようでした。祖父は誰彼構わず話し掛けるような人だったので少し特殊だったかもしれませんが、百貨店でもよくサービスをしてもらっていたと記憶しています。昔の吉祥寺にはそのような庶民的で親しみ深い雰囲気がありました。


 渥美さんが語った下町の「不自由」とは「謙虚さ」を意味し、そこには秩序ある社会が存在しています。このことは「自己と他者」という私達人間社会の根本的な問題に繋がっているように感じます。とかく自己ばかりが蔓延している現代社会において「不自由」から学ぶことは多いように思います。

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