
祖父は神田神保町の生まれの江戸っ子でした。お墓を東京の郊外へ移すことになった時も、俺は入らないと最後まで言っていました。アルコール類は飲めないのに見栄っ張りで、3千円だと思って棚から下ろしてもらったワインが実はゼロが1つ多い高価なものであった時も何も言わずにそのまま買って帰って私達にくれるような気前がよい人でした。
勤めをしていた頃に撮られた集合写真を眺めると皆が黒のスーツ姿なのに祖父だけ焦げ茶のジャケットにグレーのパンツ姿で写っているのですぐに祖父と分かります。服装には自分なりの拘りがあったようで上下を揃えて着ることを野暮と言って嫌がりました。江戸っ子の気質、そのうえ天の邪鬼な性格であったため、これみよがしの恰好や行為が嫌いだったようです。
祖父の影響なのか母も私がスーツを着ることを嫌いました。私が学生時代に初めて買った正装もスーツではなくブレザーとグレーのパンツスタイルでした。反面、私はスーツに対して憧れがあったのですが、残念ながら学校を卒業をして以来、未だにスーツを着るような仕事に就いたことがありません。
写真はリーベンデールで購入したナイジェルスミス&サンズのハンドルバーバッグです。祖父の代から続くアンチスーツスタイルの反動でサドルバッグそして以前ブログで紹介したマッドフラップまで含めると立派なスリーピースになります。天から野暮天!と祖父の声が聞こえてくるようです。
>祖父だけ焦げ茶のジャケットにグレーのパンツ姿で写っているのですぐに祖父と分かります
返信削除成る程、何となく解ります。
うちの祖父は典型的な浪速っ子です。
もう亡くなって10年程たちます。お洒落な人で子ども心に
周囲に老人と比較しても格好いいなと思っていました。
戦前は帝国主義の先鋒を行く満鉄に努めていて、予定では満鉄の
パリ駅完成とともにパリに住む予定だったらしいです。そんな
人だったので祖父母ともモダンな人たちでした。
そう言えば私も祖父が上下の背広を着ていた印象が無いです。
けど、私は子どものころから上下揃いの背広が好きですね。
Xinyi Folders さん
返信削除こんにちは。
何時も楽しいコメントを有り難うございます。
>戦前は帝国主義の先鋒を行く満鉄に努めていて
奇遇ですね。私の祖父も戦前は満鉄に勤めていて中国に住んでいました。
ハルピンだったかな?ちょっと場所は忘れました。
当時、確かNHKのアナウンサーだった森繁久彌さんや芦田伸介さんらと中国で演劇を楽しんでいたそうです。戦後直ぐに森繁さんにまた一緒にやろうと誘われたそうですが、食えないので断ったようです。今にしてみれば一緒にやっていればよかったのにと思いますが、その辺が祖父らしい選択です。
私の祖父も小柄でしたがかなり男前でした。
>予定では満鉄のパリ駅完成とともにパリに住む予定だったらしいです。
満鉄のパリ駅、そのような計画もあったのですか。知りませんでした。
>そんな人だったので祖父母ともモダンな人たちでした。
Xinyi Folders さんはご祖父母様からの影響が強そうですね。
>私は子どものころから上下揃いの背広が好きですね。
私も上下揃いのスーツは大好きなのですが未だに祖父の呪縛があります。(笑)